図書館戦争「状況一二 図書館ハ誰ガタメニ」です。
いよいよ図書館戦争も最終回です。
今まで色々貶してきましたが、終わるとなるとちょっと寂しい気もします。
まぁ、先週の終わり方からすると、看病を通じて郁と堂上の二人の関係が進んで終わりそうな気もしますが。
ということで、最終回行きます。
あらすじ:
茨城県展での戦闘による負傷で、玄田は意識不明、堂上も精神的なショックから、郁の声にも反応を示さない状態に。
そんな中、世間では良化隊に死者が出たことから、図書隊に対しての批判が高まっていた。良化隊の検閲は、法に記された権利なのだから、それに抵抗する図書隊が悪いと。
特に良化隊寄りのテレビ局の偏向報道が、世論をリードしているようだった。
そして、世間の批判からか、ついに稲嶺図書司令が退任することになる。
稲嶺図書司令は、世間の批判をかわすためではなく、水戸の事態を把握していなかった責任を採るという。そして、最後に、自分の意志を図書隊が継いでくれていることを誇りに思うと語る。
世間の批判に晒されながらも、郁は堂上の看病のために病院へ通い続ける。
そんな郁をマスコミが付け狙う。テレビ局の取材に掴まってしまった郁は、堂上の言葉に従い、感情からではなく冷静に自分の思いを語る。
その郁の言葉は、思わぬ影響を世間に与えた。テレビを見た市民からの応援の言葉が、図書隊の元に届き始めたのだ。
さらには、図書隊のシンボルであるカミツレの鉢植えも届けられた。
郁は、カミツレを堂上の元へと運ぶ。そして、自分の思いを涙ながらに語ったとき、堂上の瞳に光が戻った。
図書隊へのバッシングも「新世相」の記事などを受けて次第に鎮静化していった。そして、郁と堂上も相変わらず図書隊での訓練を続けていた。
感想:
う〜ん、これならば、わざわざ最後に図書隊バッシングを持ってこない方がよかったのではないかなぁ。
郁の看病と、堂上の闘病でよかったのでは。
というのも、郁の言葉が唐突で、余りに共感できないものだったから。あれでは、全然冷静ではなくて、感情に任せて語っているのと同じですね。
原作では、図書館法の話や、「図書館の自由に関する宣言」(本当に実在する)の話しをやっているので、郁たち図書隊の行動にもある程度納得できるんですよ。
でも、アニメ版は、表現の自由が力を行使しても守るべきものだということが、まるで全ての視聴者の共通認識だと思っているような作り方でした。原作の感想はこちら。
結局、スタッフ側がテレビということで、本当の表現の自由についての闘いを避けているんでしょうね。スタッフというより制作側かもしれませんが。
なので、郁の言葉にも説得力がないのだと思います。
最後の最後もなんだか手塚兄の力だけで解決した感じで、印象が悪いです。折口たち「世相社」が、何よりも報道の真実を守ろうとしている出版社だというエピソードを飛ばしているので、そういうことになってしまうんでしょうね。(後、電車の吊り広告は、当然検閲対象ではないでしょうか。)
郁たちを応援する声も、間にある図書館利用者たちとのエピソードを飛ばさずにやっていれば、もっと重みがあるものになったでしょうし。
こんなスカスカに作るんだったら、やっぱり2クール掛けて作るか、もっとラブコメに徹底すればよかったのではないでしょうか。もっと検閲と闘って(苦笑)、厳しい内容にして欲しかったなぁ。
で、図書館が描かれないのにサブタイトルに「図書館」とあるのは何故?図書館は図書隊のためのものではないですよ。
いよいよ図書館戦争も最終回です。
今まで色々貶してきましたが、終わるとなるとちょっと寂しい気もします。
まぁ、先週の終わり方からすると、看病を通じて郁と堂上の二人の関係が進んで終わりそうな気もしますが。
ということで、最終回行きます。
あらすじ:
茨城県展での戦闘による負傷で、玄田は意識不明、堂上も精神的なショックから、郁の声にも反応を示さない状態に。
そんな中、世間では良化隊に死者が出たことから、図書隊に対しての批判が高まっていた。良化隊の検閲は、法に記された権利なのだから、それに抵抗する図書隊が悪いと。
特に良化隊寄りのテレビ局の偏向報道が、世論をリードしているようだった。
そして、世間の批判からか、ついに稲嶺図書司令が退任することになる。
稲嶺図書司令は、世間の批判をかわすためではなく、水戸の事態を把握していなかった責任を採るという。そして、最後に、自分の意志を図書隊が継いでくれていることを誇りに思うと語る。
世間の批判に晒されながらも、郁は堂上の看病のために病院へ通い続ける。
そんな郁をマスコミが付け狙う。テレビ局の取材に掴まってしまった郁は、堂上の言葉に従い、感情からではなく冷静に自分の思いを語る。
その郁の言葉は、思わぬ影響を世間に与えた。テレビを見た市民からの応援の言葉が、図書隊の元に届き始めたのだ。
さらには、図書隊のシンボルであるカミツレの鉢植えも届けられた。
郁は、カミツレを堂上の元へと運ぶ。そして、自分の思いを涙ながらに語ったとき、堂上の瞳に光が戻った。
図書隊へのバッシングも「新世相」の記事などを受けて次第に鎮静化していった。そして、郁と堂上も相変わらず図書隊での訓練を続けていた。
感想:
う〜ん、これならば、わざわざ最後に図書隊バッシングを持ってこない方がよかったのではないかなぁ。
郁の看病と、堂上の闘病でよかったのでは。
というのも、郁の言葉が唐突で、余りに共感できないものだったから。あれでは、全然冷静ではなくて、感情に任せて語っているのと同じですね。
原作では、図書館法の話や、「図書館の自由に関する宣言」(本当に実在する)の話しをやっているので、郁たち図書隊の行動にもある程度納得できるんですよ。
でも、アニメ版は、表現の自由が力を行使しても守るべきものだということが、まるで全ての視聴者の共通認識だと思っているような作り方でした。原作の感想はこちら。
結局、スタッフ側がテレビということで、本当の表現の自由についての闘いを避けているんでしょうね。スタッフというより制作側かもしれませんが。
なので、郁の言葉にも説得力がないのだと思います。
最後の最後もなんだか手塚兄の力だけで解決した感じで、印象が悪いです。折口たち「世相社」が、何よりも報道の真実を守ろうとしている出版社だというエピソードを飛ばしているので、そういうことになってしまうんでしょうね。(後、電車の吊り広告は、当然検閲対象ではないでしょうか。)
郁たちを応援する声も、間にある図書館利用者たちとのエピソードを飛ばさずにやっていれば、もっと重みがあるものになったでしょうし。
こんなスカスカに作るんだったら、やっぱり2クール掛けて作るか、もっとラブコメに徹底すればよかったのではないでしょうか。もっと検閲と闘って(苦笑)、厳しい内容にして欲しかったなぁ。
で、図書館が描かれないのにサブタイトルに「図書館」とあるのは何故?図書館は図書隊のためのものではないですよ。